ビニロン製アノラック
ウール製カッターシャツ(洗って縮んだので布を付け足してあります)
厳冬期南ア・主稜単独縦走(光岳~北岳)
1977年12月24日~1978年1月12日
12月24日
本谷口バス停より森林鉄道跡を辿って北又渡へ入山。重荷が肩にこたえる。
12月25日(小雪)
易老渡、面平を経て、1600メートル地点で幕営。
12月26日(晴)
晴れ、膝までだが倒木帯のラッセルはつらい。7時間で易老岳着。
12月27日(霧)
9時半発。三吉平から沢へ入るが、深雪のためすぐに右の尾根に逃げる。センジヶ原からは地吹雪となる。視界なく光小屋で時間切れとなりやむなく退却。16時帰着。
12月28日(晴)
8時50分発。希望峯の登りは胸までのラッセルとなり、頂上直下50メートルでダウン。出発後7時間。
12月29日(吹雪)
8時半発。12時茶臼岳手前で吹雪となる。茶臼小屋泊。
12月30日(雪後曇り)
8時10分発。上河内岳の登りにかかるころより気温が急上昇し、雪がダンゴになる。上河内岳付近の雪稜は歩きにくい。17時過ぎ聖平小屋着。
12月31日
雨で停滞。
1月1日(雪)
8時半発。トレースをたどり12時半、聖岳に着く。コルからはラッセルを嫌い、忠実に稜線をたどる。16時避難小屋着。
1月2日(快晴)
8時発。一昨日の雨で雪が締まりペースが上がる。赤石岳の登りは夏道をとる。13時、避難小屋着。1時間の休憩後、荒川小屋まで頑張る。16時半着。
1月3日(雪)
9時半発。視界悪く通常ルートの最後の横断開始点がわかりそうもなく、昨夜からの降雪量も少ないのでカールのど真中を下降する。16時半高山裏着。
1月4日(霧)
7時40分発。トレースがあり楽である。15時、三伏峠小屋着。デポにより食糧を補給。
1月5日(雪)
8時40分発。トレースをたどり、14時半塩見小屋着。
1月6日(快晴)
7時発。塩見岳を越し、北荒川岳を下ったところからラッセルし、15時半2658メートル峰を越したところで幕営。
1月7日(雪)
8時半発。膝までのラッセルで、熊ノ平小屋着13時。
1月8日(吹雪)
7時半発。三峰岳をすぎるころより目もあけられないほどになり、やむなく間ノ岳で幕営。13時。
1月9日(吹雪)
停滞。
1月10日
吹雪だが8日よりましなので磁石を頼りになんとか稜線小屋まで行く。
1月11日(快晴)
8時50分発。吊尾根分岐より北岳往復後、下から来た人たちのトレースをたどり吊尾根を下る。15時半池山小屋着。
1月12日(曇り)
8時50分発。鷲住山、夜叉神隧道を抜けると雲一つない空が広がっていた。15時45分、芦安着。
山と溪谷1978年5月号 NO.476:179-180.