講義内容 -続我が国のこころ塾-
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このたびの新型コロナウイルス感染症騒動から私たちが肝に銘じなければならないのは、「自分の身は自分で守る・自分でしか守れない」という自明のことです。
今回のテーマでは、情報の取り方、その情報の見方と処理の仕方、判断から行動まで皆様と共有し、皆様が強気に陽気に元気にお過ごしになられることの一助になればと思います。
今回のWHO、メガファーマ、CDC主導による新型コロナウイルス感染症騒動は、全世界的に演出されたものでしたが、それに対する各国の反応は様々でした。
騒動の本場、米国ではCDCが医師の書く死亡診断書にまで介入しましたが、それに対して一部の医師たちが公に反対意見を述べ、メディアでも大きく取り上げられました。また、騒動の担い手の一つのメガファーマの研究者が会社に反旗を翻すなど、世間や組織の論理に巻かれない姿勢の人々が一定数いました。
一方、我が国では、令和4年7月の参議院議員選挙時点で9つのすべての国政政党・厚労省・すべてのオールドメディアは騒動を煽ることに加担し、反対意見を無視してきました。そしてゼロリスクを求め、しかも自分で情報を得て考え判断し行動することをしない国民も、その一方的な情報を鵜呑みにし、騒動にどっぷり浸かりました。
島国で先の大戦までは古来、強力な外敵に国土を侵される恐れが元寇以外になかった我が国の民は、“おかみ”の言うことに従っていればなんとかなる、という長い経験の積み重ねから、現代もいまだに“おかみ”に盲従する習性が抜けません。いかに盲従から抜け出し、自ら判断し行動につなげるのかを共有できたらと思います。
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サンフランシスコ講和条約発効をもってみかけ上“独立国”になった我が国。その後も、議会制民主主義のもと、国民の付託を受けて選ばれた国会議員たちや、公僕であるはずの中央官庁の官吏たちが1980年代からの構造改革を進め、国富を失うことを連綿と続けてきました。
その延長線上の一事例として郵政民営化を取り上げ、その後に続く、種苗法改正、漁業権や水道事業の開放(民営化)、入管法改正、IR推進法など、現状把握ができればと思います。
昭和20年9月2日の降伏調印後、連合国の占領下におかれ、現実的な自存を否定された“憲法”を発効されることとなった我が国は、講和条約発効により終戦を迎えました。大戦後、にわかに東西陣営の対立が深刻となりました。赤化を真剣に憂慮された方々により講和条約の発効時、日米安全保障条約と日米行政協定が発効しました。
さらにその2年後、日米相互防衛援助協定(MSA協定)が公布されました。これらの条約・協定により米国の被保護国となった我が国は、日米安保条約・日米行政協定、改定後の新日米安保・日米地位協定、そしてMSA協定のもと日米合同委員会等を通じて米国政府の要求する行財政の構造改革を進めざるを得ませんでした。
一方、国民の多くは、これらの大枠を理解することなく、政府や官庁の施策に対して唯々諾々と盲従してきました。その結果、政府・官吏たちも相手の要求に抗うことなく受け入れてきました。郵政民営化では、それまで財政投融資の原資として国民に還元されてきた、国民の虎の子だった郵貯・簡保を外資に渡すことになりましたが、小泉首相による2005年の「郵政解散」を国民は熱狂的に支持しました。
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第二次世界大戦では、日本は戦勝国に影響を与え、その影響は国々により温度差がありました。そのためにGHQがとった施策について考えてみることで、1)日本人の集合意識の特性と、GHQの施策によりかけられた呪縛から抜け出す糸口、2)GHQの施策からその主体の米国人の集合意識の特性と、彼らが日本人に何を求めたか、について考えてみたいと思います。
この「GHQの施策」は、米国が日米戦前から我が国の国柄を徹底的に調べ上げ、戦後、国柄・国民の思考を徹頭徹尾改変しようとしたものです。それは施策をした当の彼らの想像を超えて、今に至るまで日本人を束縛することになりました。少なくとも昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効による国際法上の終戦と独立からは日本および日本人の有り様は、私たち日本国民の責任です。
なお、このGHQの施策を善悪ではなく、現実的に私たちに及ぼした影響について客観的にみて、「思考に与える心理的影響について」考えてみたいと思います。
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先の大戦では、我が国が米国と戦端を開くことで開戦することになりました。では、この開戦は、どのようにして生じたのでしょうか。その経緯を見てみると、ウクライナ戦争の開戦と似ている点が浮かび上がってきます。両者の開戦経緯を見ることで、米国という国、世界の動きの理解の一助になればと思います。
我が国の開戦は米国政府の訴えるように卑怯な不意打ち”だったのでしょうか。少なくとも、米国が「オレンジ計画」、すなわち日本との戦争を想定して戦略の立案を開始したのは、セオドア・ルーズベルトが海軍次官に就任した1897年です。
清国に対して門戸開放・機会均等を謳い、食指を伸ばしていた米国にとって我が国は当然ぶつかる邪魔者でした。1905年、日露戦争講和の仲介をした米国の「満州の共同経営」の提案を蹴った我が国に対してセオドア・ルーズベルト大統領や交渉の当事者鉄道王ハリマンはひどく怒りました。
第一次世界大戦の後、この戦争の勝利の立役者米国のウィルソン大統領の主導で四カ国条約締結の名目のもと、日本がそれまで世界最強だった英国と結んだ二国間条約である日英同盟を廃棄させられました。これにより我が国は強い仲間を失いました。米国の思う壺です。あとは「オレンジ計画」の筋書き通り実行されました。つまり、資源のなかった我が国が資源獲得のために伸長してくるところを包囲し、困窮して“窮鼠猫を噛む”状態に追い込んで先に手を出させることに成功しました。
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前回は、我が国が第二次世界大戦においてなぜ日米戦を戦う羽目になったかについてみてまいりましたが、今回は、去年の2月になぜロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻を決意したかについてみてまいりたいと思います。
今回のウクライナ侵攻についてみるに当たり、ロシアやウクライナの歴史を9世紀のキエフ公国の誕生から現在に至るまで、簡単に振り返ってみます。現在のウクライナは、ソ連崩壊後にできた新しい国です。歴史的には、もともとウクライナのあるところは、大雑把にみて南東の旧ノヴォロシア(帝政ロシア支配地位域で、現在ドンバス地方と呼ばれている)、中部の旧へーチマン国家(コサックの占領地域で、現在のウクライナの中心)、そして西部のガリツィア(旧オーストリア帝国)とは、成り立ちが異なります。さらに、それが現在に至るまで影響し、この3つの地域は、住んでいる人種、言語、宗教が異なります。南東はロシアとの親和性が強く、中部・西部は西側諸国との結びつきが強いです。そして政権が親露と親西とが代わるたびに内紛を繰り返してきました。
1991年のソ連崩壊前に、ゴルバチョフ書記長が米国国務省のベイカー長官と、東西ドイツの統一に向けての会談で、NATOの将来の在り方についての齟齬の有無を確認しなかったことが、後にNATOの東方拡大を産みました。さらに、西側と手を結んだロシア国内のオリガルヒによる国富消尽し、プーチンの手を焼かせました。そして米国を主体とした西側がウクライナへの軍事的足場の確保を伺うに至り、とうとうプーチンの堪忍袋の尾が切れることになりました。
用意周到にロシアを囲い込み、窮鼠猫を噛むよろしくロシアから手を出させたのは、まさに、我が国が日米戦開戦に至らされた構図と似ていませんでしょうか。
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昭和35年の日米安保改定により発効した日米同盟、そしてその2年後に発効した「日米相互防衛援助(MSA)協定」により日米は軍事と経済の安全保障を互換的、互恵的に成り立たせてきました。まさに“結合双生児”のように。
平成23年(2011年)の東日本大震災発災後、米国政府により米国4軍(海軍・海兵隊・空軍・陸軍)の構成で行われたトモダチ作戦では、アメリカ海軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」に乗船していた約5000人の水兵たちが、東北地方沿岸の海域で被災者の捜索や救援物資の輸送など、約80日間にわたる救援活動を行いました。
東日本大震災での福島第一原発事故で1号機から4号機まで爆発を起こして事態の収拾の目処が立たず、当時の民主党政権が機能不全に陥ってしまいました。3月16日夕方、天皇陛下は東日本大震災で被災された方々をはじめとする国民に向けてビデオを通じて「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(いわゆる「平成の玉音放送」)」を給いました。
強い余震が頻発する中で、原発の冷却水循環の早期の復旧だけでなく、大量の核燃料棒が貯蔵された4号機の燃料プールの水位の維持や周辺の壊れた建屋の建造物が落下してプールや核燃料棒を破損しないよう急がねばなりませんでした。発災から自分たちで情報を収集していた米国・米軍は、天皇陛下のおことばにより沿海で待機していた、フル装備・戦闘態勢の第七艦隊空母打撃群から現場に航空機や揚陸艇を投入しました。
もし、3月16日に玉音放送を給まわらなかったら、この時点で福島第一原発の状況に関する正確な情報が日本国政府から伝えられていなかった米国政府は日本国政府に乗り込んで政府を本格的にコントロールするタイミングが遅れていたことでしょう。そうなれば、福島第一原発の危機的状況は最悪の場合、収束することがなかった可能性があります。今回は、この辺のところについてお伝えしたいと思います。
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近代になり、そろそろ民に世を動かす主導権を渡すために王政を終わらせようと目論んだ“世界を動かす人々”が、実際に世界をどのように動かしてきたかを標題のような流れに沿ってみて行きたいと思います。
まず、代表的な例として、宗主国である英国からの米国の独立、王政を倒したフランス革命(革命軍の掲げた「自由・平等・博愛」はフリーメーソンのモットーの一つ)、我が国独自の国体を和洋折衷した明治維新、王政を倒したロシア革命、そしてシナ大陸での清国打倒から国府と中国共産党との内戦後の中華人民共和国の誕生、といった流れについてどのようなやり方でそれらを進めて行ったかを概観してまいりたいと思います。
それぞれの時代、国によりやり方に多少の違いはありますが、彼らは、人と金融と情報により実に巧みに仕組み作りを達成していきます。我が国は、彼らの指導により明治維新により世界の中に漕ぎ出すことになり、その基軸として、1913年横浜正金銀行による為替の取り扱い、1915年日本銀行の設立による統一通貨の発行を行う体制を作り、世界経済へ組み込まれました。
国レベルでは、第一次大戦により覇権を英国から米国に移し、第二次大戦後、世界経済をより円滑に運営するために米国主導による国際通貨基金(IMF)と英国主導による世界銀行(WB)が設立されました。世界東西冷戦を経て共産主義政体の実験が終了しました。
最後に、“世界を動かす人々”の現在の運営構造、そして戦後日米同盟を通して世界経済を支えてきた我が国の通貨発行の仕組みについても一部言及しようかと思います。
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縄文の人たちは“中今”の境地ですばらしい生活・文化をつくってきたことがうかがえました。この境地を今に活かすにはどうしたらよいかお話したいと思います。日本の国柄について。神話の時代から現代までの変遷を通覧。今年は、とくに縄文時代の意義と天孫降臨から神武天皇誕生についてもふれてみたいと思います。
縄文時代は、一人ひとりが中今になることで天啓を得られ、自分の役割を知り、その役割を果たすことで、社会が有機的に動いたようです。そのような社会だったので縄文時代には、その長い経過中、大きな争いの証拠が見つかっていません。ある事情から、縄文人たちが弱肉強食を旨とする世界中の人々の移入を受け入れ、中今力を失って、現在に至っています。
現代世界は、いまだに“力こそ正義”の弱肉強食の世界が続いており、巨視的な視野を持つことの苦手な私たち日本人は、自分たちの置かれた立場も認識できず、自立することができないままでいます。
感情フィルターを介さずに広く情報をとり、俯瞰的に眺め、論理的に考え、時に直観も交えて、合理的に判断する、という基本の繰り返しにより、状況を乗り越えて行くことが肝要です。本年度の塾の最後にあたり、これから私たちが中今力に目覚めることで我が国の行末と、どのように世界に貢献できるかをお伝えできればと思います。
年度の途中で、講義内容に変更が生じる場合がございます。あらかじめご了承ください。