矢作直樹 プロフィール

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昭和31年 横浜市に生まれる。
3歳 家族で湘南の辻堂に引っ越す。この地で海や野原で腕白坊主として育つ。
10歳 東京都町田市に引っ越す。海がなくなったかわりに山に囲まれた自然豊かな田舎で山登りをはじめる。
昭和50年 東京を離れて金沢大学医学部に入学。山登りがエスカレートし、プロの登山家をめざす。
昭和54年
3月
北アルプス白馬岳から槍ヶ岳を越えて南岳までの冬季単独縦走の途上、鹿島槍北峰から北壁を1,000m墜ちるも奇跡的に生き延びる。大町まで下りて体勢を立て直し、引き続き残りのルートを踏破した。
昭和54年
12月
再度、鹿島槍から槍ヶ岳までの厳冬季単独縦走を試みるも、針ノ木岳で100m滑落し、右膝を強打し、登高に支障をきたしたために下山。バス停のある扇沢まであと少しのところで「もう山にはくるな」という声が聞こえた。憑き物がおちたように山への意欲が消え失せ山登りをやめた。
昭和56年 金沢大学医学部卒業後、麻酔科を皮切りに救急・集中治療、内科、手術部などを経験する。
平成11年 東京大学大学院新領域創成科学研究科教授、同工学部精密機械工学科教授兼担
平成13年 東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および同医学部附属病院救急部・集中治療部部長
平成28年
3月31日
任期満了退任
平成28年
4月
(株)矢作直樹事務所を開業

昭和31年
横浜市に生まれる。
3歳
家族で湘南の辻堂に引っ越す。この地で海や野原で腕白坊主として育つ。
10歳
東京都町田市に引っ越す。海がなくなったかわりに山に囲まれた自然豊かな田舎で山登りをはじめる。
昭和50年
東京を離れて金沢大学医学部に入学。山登りがエスカレートし、プロの登山家をめざす。
昭和54年3月
北アルプス白馬岳から槍ヶ岳を越えて南岳までの冬季単独縦走の途上、鹿島槍北峰から北壁を1,000m墜ちるも奇跡的に生き延びる。大町まで下りて体勢を立て直し、引き続き残りのルートを踏破した。
昭和54年12月
再度、鹿島槍から槍ヶ岳までの厳冬季単独縦走を試みるも、針ノ木岳で100m滑落し、右膝を強打し、登高に支障をきたしたために下山。バス停のある扇沢まであと少しのところで「もう山にはくるな」という声が聞こえた。憑き物がおちたように山への意欲が消え失せ山登りをやめた。
昭和56年
金沢大学医学部卒業後、麻酔科を皮切りに救急・集中治療、内科、手術部などを経験する。
平成11年
東京大学大学院新領域創成科学研究科教授、同工学部精密機械工学科教授兼担
平成13年
東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および同医学部附属病院救急部・集中治療部部長
平成28年3月31日
任期満了退任
平成28年4月
(株)矢作直樹事務所を開業
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写真 矢作直樹